山本謙吾(主任教授)による人工関節置換手術

山本謙吾先生による人工股関節手術を受けた元ラグビー選手の診療体験談

山本謙吾(東京医科大主任教授)による元ラグビー選手の膝関節治療体験談

学生時代はラグビーの選手で海外遠征のメンバーにも選ばれオーストラリアで国際試合の経験も有ります。

大学卒業後はある名門企業からお呼びがかかり入社しました。

暫くはラクビ―部で活躍しましたが、30代前半で現役を退き会社の営業部に配属されました。

ラグビーを止めた途端体の各部が傷み始め、特に体重のかかる膝が痛み出し、次に腰に来ました。

会社近くにあるスポーツ医学が専門の整形外科で診察を受けリハビリテーションを始めました。

診察した医者から激しい運動を行っている選手が急にそれを止めるとそれらの症状が出やすい旨説明を受けました。

暫く整形外科医院でリハビリテーションを続けながら様子を見ていましたが、ある時期から痛みが消え始めました。

それからは営業部の日常業務を普通に行えるようになりお客様訪問も再開しました。

50をすぎた頃に高校時代のOB戦に招かれました。

私はリハビリテーションも忘れ現役チームの激しいタックルを交わしトライを重ねました。

翌朝目が覚めると体の節々が痛くなりましたが、会社には出勤しました。

午後からはお客様を会社の研究所に連れて行き、会議を持つ予定でしたので、上司の許可を得て整形外科医院でリハビリテーションを受けました。

少し違和感を感じましたが、そのまま研究所に行きお客様との会議に参加しました。

その晩自宅に帰りますと、今までにない個所である膝関節付近が痛み出しました。

徐々に痛みは強くなりましたが、久しぶりのラグビーの試合のせいと勝手に解釈し会社に出社しましたが痛みが治まらず、リハビリテーションを受けている整形外科に行きました。

医者は今までの患部と違い膝関節付近であり、念のためにと東京医科大学病院宛ての紹介状を書いて頂きました。

医者からは兎に角安静にし、飲酒も慎むようアドバイスを受けました。

翌日東京医科大学病院を訪問し山本謙吾先生に診察して頂き各種の検査を全て受けました。

検査の結果は膝関節軟骨のがすり減り、骨が変形している事が分かりました。

激しい運動に耐え切れず軟骨が損傷したのでした。

山本謙吾先生(主任教授)から人工膝関節置換術手術を勧められ体力のある今がチャンスだそうです。

それを聞いた瞬間貧血気味になり横にいた看護師さんに支えらえました。

その内容を嫁と実家の父親に伝えました。

次の日嫁と父親が一緒に病院に行き山本 謙吾先生から今後の手術のやり方等の説明を受けました。

帰宅した父親から山本謙吾主任教授の手術の実績、論文などの実績、手術後のリハビリテーション体制、私の年齢等を考えると医者の判断に誤りはなく、手術を受ける様にアドバイスを受けました。

それから2カ月後に手術を受けました。

人工膝関節と私自身の骨との接続も予想以上に上手く行ったそうで、痛みが引き次第リハビリテーションを開始する旨告げられました。

入院している個室に父親が訪ねて来てくれました。

手術の状況を説明し患部の包帯姿を見せました。

父親が思わずその包帯部を優しく擦ってくれ、子供の頃を思い出しました。

東京医科大の山本謙吾執刀のもと、人工関節置換術を受けて・・・

山本謙吾(主任教授)より人工関節置換術を受けた患者さんの受診レビュー

母が69歳に最近なったのですが、実は2.3年前から歩くのがつらいと私に行ってきました。

もっと早く言ってくれればいいのに、母の意固地なところが出てしまったみたいです。

それからは整骨院に連れて行ったり、町医者に通ったりといろいろしましたが、一向に良くならず、しまいには母も治療をあきらめるようになってしまいました。

日に日に元気がなくなっていくのが目に見えて分かるようになりました。

父に聞く話では、昔の母はアウトドアにスポーツと外で輝いている人だったと、なつかしむように話してくれました。

テニスが上手で高校のときには関東ベストエイトまで行ったとか行かないとか・・・

今ではそんな姿も見る影はなく、足が痛いことにより部屋から動くことすらしなくなってしまい、テレビばっかり見ているような生活になってしまいました。

父も今の母の姿を見ているとなんだかさみしそうで、夫婦の会話も少なくなっているのがわかりました。

 

父も母も仕事はしていないので、お互いずっと一緒にいるのに二人が笑顔で話しているのをここ最近見ていない。

そして私は、母の元気な姿に戻したい、そして父に昔の母の姿を見せてあげたい、昔みたいに家族で笑顔で食卓を囲みたいと思い、インターネットでいろいろと調べました。

 

町医者に行っても湿布を出されて終わりだったため、もっと大きな病院に行こうと思い関東近郊で病院を探しました。

口コミや、病院レビューなどを見ていると、どれが真実なのか分からなくなってしまい、とりあえず通院で一番通いやすく、レビューもたくさんあった、東京医科大学病院に行くことにしました。

病院自体は昔からある大きな病院で、交通の便もよくこれなら母一人でも行けるかなと感じました。

 

担当の山本謙吾さんは第一印象はなんだかおっとりしているような、感じが見受けられました。

病院にはいって、先生の名札を見ると山本謙吾と書いてありました。

帰って調べてみるといろんな資格を持っていたり、たくさん論文を書いていて、口コミやレビューもちらほらとありました。

最初の診察で山本謙吾先生より、変形性膝関節症がだいぶ進行していて、手術が必要といわれていたので、山本謙吾先生なら母親を昔の姿にしてもらえるかもと思い通院を続け、手術を受けることにしました。

手術は、膝の関節を人工関節にするとのことで、「人工関節置換術は山本謙吾が得意」とネットでも書いてあり、専門領域でもあるとのことで安心してお願いすることが出来ました。

通院、入院、手術、リハビリとあわただしく、日々が過ぎましたが、母もリハビリを繰り返し、普通に歩くことができるようになり、痛みがなくなったことにすごく喜んでいました。

退院し、昔のようにとは言ってもスポーツなど激しい運動はできないのですが、父との散歩が日課になり、家には父と母の笑顔があふれ、元の家庭に戻ったようでした。

 

山本謙吾先生にはほんとに感謝してもしきれないです。本当にありがとうございました。

山本謙吾医師より人工股関節置換手術を受けて

東京医大の山本謙吾主任教授による48歳主婦の方の人工関節置換術手術体験談

今まで特に大きな病気にかかったこともなく、なので「健康」には自信があったのです。

アクティブな性格でもあり、昼間はスーパーでパートをしていましたし、ママさんバレーの一員となり、夜練習に通ったり、年に2、3回は、夫と登山もしてきました。そんな毎日でした。

夜になりお風呂に入るとスイッチオフ、そんな感じで、寝つきもよく、朝までぐっすり眠れ、朝食もおいしくと、そんな毎日でしたから、私が病気になるなんて、という自信過剰を持っていたのかもしれません。

ある朝から、なんとなくなのですが、左足の関節に違和感を覚えるようになりました。

けれどそれは「違和感」にすぎず、そんなことは無視して、特に心配することも、不安に思うこともなく生活していました。

ママさんバレーも続けていましたし、登山はしませんでしたが、「まあ、大したことはないだろう」と楽観し、通常の生活を送っていました。

というのも、その左足の違和感でしたが、朝起きて歯磨きをしたり、着替えたり、なんとなく普通の朝の行事をしているうちに解消されていたので、健康には気を付けていても、特に病気に対する知識が多いわけでもなく、当たり前の生活を送っていたのです。

すると数カ月のちには左足にこわばるような症状が出てきたのです。

自分の体がこんなことになっているとは…みなさんは大丈夫ですか?

さすがにママさんバレーもお休みし、連休を利用して登山に誘う夫に、実は・・・と左足の症状を打ち明けたのです。

本当のことを言えば、そのころには左足の関節に痛みも感じるようになっていました。

すると夫は真剣な表情になり、近所の内科ではなく、大学病院に行った方がいいと言います。

そしてすぐに夫は仕事を休んでくれて、東京医科大学病院の整形外科へ受診しました。

今まで健康だったために、大学病院も未知でしたし、初めての体験ばかりで緊張していたのですが、診察室に入ると、山本謙吾先生はとても穏やかな方で、丁寧に私の下手な説明を、質問を交えながら聞いてくれて、検査となりました。

血液検査や、X線検査、関節液の検査などを行い、次回の通院で告げられたのは変形性股関節症でした。

山本謙吾先生人工股関節置換手術を進めてくれたのですが、何せ今まで健康だけが取り柄だった私です。

「手術」という言葉にショックを隠せず、それをくみ取っていただけたのか、丁寧にわかりやすく、手術の説明、変形した関節を、金属やセラミック、ポリエチレンなどでできた人工関節に取り替えること。

そして手術時間は1.2時間、その後は、今までできていたこと、自転車、車の運転、水泳、サイクリング、ゴルフもハイキングも、旅行もできるようになるとの説明を受け、更に山本謙吾先生は東京医科大学病院の主任教授でもあり、数々の論文も出されている先生なので、それなら!と手術をぜひ受けたいと思ったのです。

手術の準備としては、2,3週間前から、自己輸血のために、血液を貯蔵するのです。

手術の輸血が自分の血液なら安心です。

そして手術を受け、車いすや次に歩行訓練などを行い退院しました。

そして今ではほぼ以前と変わらない生活をしています。

ハイキングにも行きました。

また人生をエンジョイできる生活に、夫がすぐに東京医科大学病院の整形外科への通院をすすめてくれたことに感謝しています。